俳句 -Haiku-

日本人でも俳句はよくわからない

俳句は学校で少々習いますが、なかなか深く知るという機会もなく、日本の文化でありながらも、全く知らないという人もいるくらいです。
しかし俳句を詠み、その内容を理解すると、なるほどと納得で来たり、すごく心打たれることもあり、知れば知るほどのめり込んでしまうという人も少なくないのです。

正岡子規が大正時代、初めて唱えたのが俳句です。
それ以前の歴史の中で、松尾芭蕉や与謝蕪村が現代にも残る有名な俳句を残しているのですが、「俳句」という言葉が利用されるようになったのは正岡子規が唱えた言葉からです。

それ以前は発句、俳諧と呼ばれており、俳句という事は存在していなかったのです。
ではなぜ発句、俳諧と呼ばれていたのでしょうか。

発句と俳諧

俳句は現在基本的に5-7-5で読まれます。
しかしもとは、この様に独立した5-7-5という短い詩ではなく、蓮歌と呼ばれる長い詩で、その連句の冒頭部分、5-7-5と独立した部分を発句と呼んでいたのです。

俳諧というのは和歌など優雅な世界について、あえて、低俗な世界に落とし詠んだ歌です。
連歌にユニークというよりも滑稽というべきことを追求し、蓮歌のルールをなくし詠んだ歌、俳諧之連歌などが流行し、そのことからよく利用されるようになりました。

和歌では梅を利用するものを、日本人にとって最も身近な春の花、桜を読む、するとそこでギャップを感じ、笑いが起きたのです。
気取った言葉を並べるロマンチックなシーンをレストランではなく居酒屋に舞台を移したら、とても滑稽なシーンになります。
俳諧はこうした状態の歌という事です。
歌の中に難しさや世の中の排他的なイメージを入れるという事ではなく、その中に滑稽な事を織り交ぜることでユニークでなるほどと思える印象的な歌にする、こうした俳諧や連歌などの発句がまとまって俳句というジャンルが出来上がっていったのです。

松尾芭蕉にみる俳句

寛永21年関ヶ原の合戦から44年、徳川の時代になり戦国時代から安定した世の中になった世に生まれた芭蕉は、延宝6年、35歳で俳句の師匠となった方です。
芭蕉の歌は現代の世にも歌い継がれているのですが、俳句の基礎に関しても功績を残されており、桃青門弟独吟二十歌仙という本を出版しています。

俳句は難しい、でも読んでみると楽しい

松尾芭蕉もほかの名だたる方の俳句も、読んでみると人をからかっている俳句だったり、妙にひねている目で見つめた俳句だったり、その時代を封じ込めた香りが立つような俳句だったりと、非常に魅力を感じます。
難しいもの、意味が伝わりにくいものと考えずに読んでみると、俳句は実に面白く、人間味あふれる言葉となっていることがわかります。