小烏丸

刀工天国作の日本刀小烏丸

奈良時代末期から平安時代中期に作られたとされる、平家一門の家宝、小烏丸(こがらすまる)。
刀工の天国(あまくに)作として伝えられている日本刀で、小烏と呼ばれる事もあります。

そんな小烏丸ですが、刀の名前の由来については諸説あり、主に、3つの説が濃厚であるといえるでしょう。

1つ目は、“鳥持参説”と呼ばれる説で、桓武天皇が南殿に出御した際に、鳥が一羽飛んできて、笏を招くと降りて来たとされています。
鳥曰く、伊勢大神宮からの使いとして参ったとのことで、翼の下から一振りの太刀を落し、そのことから小烏と名付けられたと言う説です。

2つ目は兜の飾物説と呼ばれており、939年、平貞盛が平将門討伐に向かう際に、朝廷より拝領し、戦陣に赴いたとされています。
その際に、将門は兵法をもって八人の影武者を置き、分身したのですが、その際に、兜の天辺に小さな鳥の像を付けている一人を切ったところ、将門本人も切られたとのことです。
この際、小さな鳥を切ったことから、小烏と名付けられたという説になります。

そして3つ目は、小韓鋤説です。
韓国から渡った剣のことを韓鋤(からさび)と呼びますが、日本書紀ではさびをサヒと読ませ、これが転じてシとなり、こからさび、コガラシ、小烏になっていったのでは無いかと言う説になります。

いずれも確かな確証は無くあくまで一種の仮説という扱いを受けておりますが、これだけ色々と夢がある説を持つ刀は、小烏丸の他に無いといえるでしょう。

平家伝来の刀として皇室御物とされている

小烏丸は現在、平家伝来の小烏丸として、外装と共に、宮内庁の国立文化財機構で保管されています。
皇室御物として認定されており、非常に価値の高い歴史的財産として、現代に至るまでその姿を残しているといえるでしょう。

刃の長さは62、8センチ、反りは1、2センチと、非常に小ぶりな刀として知られており、小烏丸、と言う名を表していると捉える方も少なくありません。
上半身はほとんど反りがなく、後生の日本刀と違って、刀身のほぼ真ん中に鎬があることも、小烏丸の特徴的な部分といえるでしょう。

最大の特徴は、切るよりも刺す事に徳化している点とされ、その点も、当時の刀としては珍しくあったとされています。
余談ですが、現在の外装は、当時の物と異なり、文献を参考にして作り直された物と見られており、心なしか新しいと言えるでしょう。

小烏丸以外にも、鋒両刃造の太刀は御物の中にいくつか現存していて、当時の刀工が、研究の為に写しを制作していたのでは無いかとされています。
ですがそれらの写しに比べてもやはり質の高さが極めて高く、多くの愛刀家達を虜にしてきたといえるでしょう。