燭台切光忠

いたずら心から燭台切光忠の異名がついた備前光忠

1596年、豊臣秀吉が伊達政宗に与えたとされている刀として有名なのが、燭台切光忠です。
当時は備前光忠の名が付けられており、現在も、「刀無銘備前光忠(号:燭台切光忠)」として名を付けられています。

燭台切光忠という名前に変わったのは、衝撃的な歴史が有り、そもそも、秀吉のいたずら心から始まったとのこと。
豊臣秀吉は、伊達政宗が大阪との間のお召し船を献上した功を賞して、この刀を与えましたが、翌日その刀を帯びた政宗が自分の元を訪れた際に、秀吉が仕掛けました。

秀吉が小姓達に、「昨日政宗に刀を盗まれたから、取り返せ」と伝え、小姓達が揃って政宗を襲撃したのです。

政宗は無事に逃げおおせる事ができ、幾ばくか逃げた所で秀吉が、「許す、宜しい」と小姓達を止めたものの、政宗の怒りは収まりません。
政宗が小姓を成敗しようとしたときに、小姓が唐金の後ろに隠れ、その燭台ごと切り倒したことから、燭台切光忠という名前が付けられました。

このように、秀吉の悪ふざけがあった故に付けられた名前という事もありますが、何となく刀にあった綺麗な名前という事もあり、現在に至るまで名を馳せているといえるでしょう。

余談ですが、後日この名前の由来を聞いた徳川光圀が、伊達政宗から強いて持ち去ったという説も有りますので、本当であれば、伊達政宗は散々な目に合っているという説もあります。

焼失したと思われていたが、現在は徳川ミュージアムで保管

そんな燭台切光忠ですが、関東大震災において焼失されたとされていたものの、2015年、ゲーム「刀剣乱舞」が大流行し、ファンから、燭台切光忠があるかという問い合わせが徳川ミュージアムに殺到。
そのことを受けて全力で捜索が進められた結果、所在が特定し、焼刀ではあるものの、そのままの姿が保管される事となりました。

一般展示が2015年に開催された後は、通常の5倍もの来訪者で溢れかえり、多くの愛刀家、刀剣乱舞ファンを集めたとしてしられています。
現在でも徳川ミュージアム内で厳重体制で保管をされており、多くの愛刀家、歴史ファン、ゲームファンを魅了してやまないといえるでしょう。

きっかけはゲームファンによる問い合わせ殺到であったものの、その結果、歴史的価値の高い作品が、現在の世に戻る事となりました。

もちろんゲームファンだけの力だけではありませんが、その熱気に感服をしたという関係者も多く、発見後は、羽田空港ディスカバリーミュージアムなどでも、期間限定で展示が行われた点も特徴です。

所有者から現代に至るまで、様々な逸話が残る、燭台切光忠。
焼刀状態とはいえ、今後も多くの方を魅了してやまない刀であるといっても、過言ではないでしょう。