空手道 -Karate-

沖縄が発祥の空手

空手道は日本独自の武道ですが、本州においての歴史はさほど古くなく、空手のルーツは沖縄にあるとされています。
かつての琉球王国は大陸との交流が深かったため、中国の武術の影響を受け独自の武術が発展していました。
打撃系を中心とするその武術は、長い間琉球王国のみの武術として栄え、九州や本州へ流入することはありませんでした。

むしろ、薩摩藩を通して入って来た本土の武術の影響を受け、さらに琉球の空手は発展してきました。
国王自ら空手を習得していたという文献もあり、多くの人々の間で行われていた様子が伺えます。

その後、明治12年になると廃藩置県によって、琉球王国が廃され、沖縄県となります。
こうした政治上の動きがあり、沖縄における空手は存亡の危機を迎えます。
しかし、琉球士族によって現地の学校教育に取り入れられるなど、存続のための努力が払われました。

明治時代以降に空手が日本全国に伝わるようになる

そして、明治時代後期になって、ついに琉球空手が本土に伝えられるようになり、その魅力に多くの人が惹かれます。
大正になると、柔道の始祖となった嘉納治五郎が、自身が創設した講道館に空手の指導者を招待し、型を披露させます。
このことが一躍人々の注目を集め、空手が日本に広まっていくきっかけとなったのです。

同時期に、当時よく行われていたボクシングの興行に、空手家が飛び入り参加して、ボクサーを倒すという出来事も起こり、世間に空手の強さを知らしめたのです。
こうした出来事もあって、日本中にまたたくまに空手は広まっていきました。

その後、昭和初期には空手道という名前が付され、日本の武道の1つとして認められるようになりました。
また、地方や流派によって分かれていた型を体系的に研究し整理する活動も行われ、現在の空手に近いスタイルができあがりました。

様々なタイプの空手

空手道にはいろいろな流派があるため、一口に定義づけすることはできません。
大まかに分けると、フルコンタクト空手と伝統派空手の2種類となります。

伝統派空手では、実際に打撃を加えることなく寸止めによって試合を行います。
演武に重きを行うところもあり、型の美しさや技の切れなどを見ることが多い傾向にあります。

一方、フルコンタクト空手では、実際に打撃を加えて試合を行います。
防具を着けることも着けないこともあり、実戦的な空手と言えるでしょう。
アメリカを始めとする諸外国でも実践されていて、人気のある武道となっています。
また、公式な競技としても発展して、世界中で競技が行われています。

これからも、空手道は日本武道の魅力を伝える1つとして、世界の人々に愛され実践されていくことでしょう。