大包平

古備前派包平作の太刀大包平

古備前派包平作の太刀として享保名物帳に所載されている、大包平(おおかねひら)。
江戸時代、大包平は、当時岡山藩主であった、池田光政が、熊沢蕃山に懇願して入手したとされる説と、光政の祖父である池田輝政によって池田家に伝わったとする説など、諸説あります。

ですが、池田家の所伝によると、輝政の佩刀として、お正月の具足始めには例年、甲冑と共に大包平を飾ることが慣わしで、昭和42年、国が6500万で買い上げたと言う歴史が濃厚といえるでしょう。
また余談ですが、名物帳によると、寸長き故、名付くとだけ記されており、本阿弥家では、目にした物がいなかったのでは無いかと言われています。

池田光政が藩主となったのはわずか三歳の時。
光政が成人するまでは後見として、池田忠雄がつき、家老の日置豊前が運営を行っていました。

日々、業務を執り行っていた豊前でしたが、ある日、宮内少輔と甲斐守の前に呼び出され、公私にわたって私曲があると糾弾。
この糾弾に対し豊前は華麗に弁明をした後、言われない糾弾をされたのは、宮内少輔が大包平を借用したいと思っているのに、貸さないことが原因だろうと考えました。

ですが、光政が成人をするまでは貸すことが出来ないと固く断り、その結果、宮内の手に渡ること無く、大包平は、光政の手に無事に渡るところとなったのです。

東京国立博物館に収蔵されている大包平

このような流れがあったことから、長らく池田家に伝来し続けていた大包平。
ですが、1967年に、当時の文部省が池田家から6500万円で買い上げを行い、現在では、東京国立博物館に、国宝として所蔵されています。

大包平は、刃長89、2センチ、反り3、5センチ、元幅3、7センチと、刀身が幅広く、重ね薄く、腰反り高い点が特徴です。
制作年代は平安時代末期とされており、当時の技術を詰め込んだ、奇跡の刀として重宝されていたといえるでしょう。

通常、これだけの長さで大ぶりな太刀の場合、重さが二キロを超えていてもおかしく無いものの、大包平の場合は、重さ1、35キロ。
当時の他の同サイズの太刀に比べると明らかに軽く、技術の高さが証明されている作品であるといえるでしょう。

池田輝政によって伝来した、大包平。
現在に至るまで国宝級の価値があると認められるほどの刀を、池田家の機転、頑なさによって守り続けた事は、間違いでは無かったといえるでしょう。

ですが、輝政から受け継いだ光政は、備後守に対して大包平が何になる、刀一本を頼りにするとは情けない話と、訓戒していた点が印象的と言われています。
あくまで刀は刀、そうした確固たる価値観が、池田家の反映をもたらしたのであろうという説もあるでしょう。

鶯丸

小笠原家に伝来した太刀鶯丸

小笠原家に伝来したとされる、備前国友成の達、鶯丸(うぐいすまる)。
長さ二尺七寸、反り9分強の太刀として知られ、うぐいすという可愛らしい名前とは裏腹に、その圧倒的な力強い存在感が魅力として知られています。

そんな鶯丸ですが、1441年、下総国結城において、春王丸・安王丸が挙兵した際に、副将軍として参戦した信濃の守護、小笠原大膳大夫政康の功績を称え、足利将軍によって授けられたという歴史があります。
室町時代の名物として知られていますが、そのいわれは定かでは無く、伝来した経緯が根強く伝えられている点も特徴と言えるでしょう。

その後、子孫である越前大野郡勝山城主、小笠原家に伝来した鶯丸は、1736年、八代将軍徳川吉宗の命によって、感服と共に台覧も供されました。
その後明治維新を迎え、宗伯爵家、秋元子爵、田中光顕伯爵の手に渡った後、明治40年11月、明治天皇に献上された事で知られています。

備前国友成と切るものが多い

鶯丸は古備前物の中でも非常に古風な作風が特徴的とされており、備前国友成と銘文を切られるものが少なくありません。
また、友成と並んで古備前物の双璧とされる、正垣に比べると違いがある点が多く、黒みがある肌立ちごころ、小乱れ主体で古色蒼然たる部分が、大きな特徴と言えるでしょう。

刃の長さが約81,81センチメートルと比較的長く、反り返りも、2.7センチと大きい点が特徴です。
腰反り高く、踏張りが有る点も特徴で、板目肌よく、地沸厚くつき、棟寄りの沸の乱れが移り立っているとされています。

現代に至るまでその価値は非常に高い物とされており、今なお現存する、非常に貴重な財産として、歴史的価値が高いといえるでしょう。

御物としての歴史

鶯丸はこのように、非常に歴史深く、様々な人の手を渡って現在に至りますが、昭和天皇没後も、御物として残り、歴史有る美術品の形で重宝されています。
国有財産、御由緒物とまではいかなかったものの、現在に至るまで現存している、非常に価値の高い財産の一部といえるでしょう。

昭和天皇の死去に伴い、国有に移管された後は、宮内庁の三の丸尚蔵館に移され、今なお現存する重要歴史遺産、資料として保管されています。
昭和天皇の生前は、昭和戦後だったこともあり、皇室の資産は国有財産として扱われていた為、鶯丸も、日本国憲法下の元で管理をされてました。

1989年の昭和天皇崩御までは、御物の大部分と一緒に保管されており、様々な美術品らととりまとめられ保管をされていたという歴史があります。

このように、紆余曲折を経て現在の姿に落ち着いた、鶯丸。
見る物を引き込むその古風な姿は、今後も美術品として丁寧に保管される事でしょう。